深夜の教育テレビで一風変わった番組がやっていました。その名も"朝までラーニング"。
久々にめちゃめちゃ面白いテレビ番組を見た気がするので、感想を殴り書きします。
番組について
芸人のサンシャイン池崎さんが決められたテーマについて勉強し、その内容を分かりやすく発表する、というコンセプトの番組でした。
私が見た回のテーマは、"時間とは何か"。
今回は、まず池崎さんが3人の研究者から時間に関する講義を受け、そこで学んだ内容を1週間後に発表するという流れでした。
講義部分について
心理学、物理学、哲学をそれぞれ専門とする3名の研究者の方が、それぞれの視点から"時間とは何か”という問いについて説明していました。
私は最初、心理学や哲学の視点から時間を議論してもあいまいな答えしか出せないだろうと思っていました。時間の正体を厳密に説明できるのは物理学だけだと思ってたんです。
でも蓋を開けてみたらそんなことありませんでした。最新の物理学を用いても、時間の正体を完全に説明することはできないというのが現状みたいです。
むしろ、物理ほど厳密な定義や証明が必要ない(例えば数式などを用いない)哲学のほうが柔軟な考えが許されているみたいで、時間という難しい存在に対しても、かなり踏み込んだ(実体験に則した、納得できる)考え方をしていることに驚きを感じました。
番組をみたうえで、時間について考えてみた
まず、番組のテーマである"時間の正体"について。
私が講義を聞いて、じっくり考えたうえで思ったのは、”時間とは考えるためのツールに過ぎない”ということ。
例えば、時間は逆戻りできるか、という議論について。
番組内で、物理の視点では”時間はエントロピーの増大する方向に流れる”という説明がありました。
これは、コップからこぼれた水がコップに戻らないことなどからも直観的に理解できると思います。
番組中でも似たような説明がされていたのですが、これを聞いて思ったのは、”物理から見た時間って、運動を説明するために作られたツールなんじゃね?”ということ。
私はこれまで生きてきて、時間っていうのは宇宙が誕生したのと同時に生まれて、それからずっと流れ続けているもの、この宇宙全体に等しく満たされているもの、というイメージがありました。
似たようなイメージを持った人は少なくないんじゃないかなと思います。
一方で、モノが一切動かない部屋では時間を認識できるか、という問いがあります(番組中で議論されていた)。
私としては、心臓の鼓動や光子の移動さえ起こらない空間があるとすれば、人は時間を認識できないんだろうなと思いました。
これは、先述の"時間は宇宙全体に満たされている"というイメージとは矛盾します。
”モノが一切動かない部屋”はおそらくこの宇宙上に作ることができますが、その部屋の中では時間経過が一切認識できないわけで、これは少なくとも宇宙全体に時間が満ちているという仮説とは反する、という主張です。
裏を返せば、つまり時間というのは、何かモノが動いて、その運動を解釈したり説明するときにはじめて生まれるものであり、その役割は現象を説明するための道具なんじゃないかと思ったんです。
だから時間はモノでも現象でもないんだと思います。"時間が流れる"という現象も多分無くって、モノが動いたとか、月が満ち欠けしたとか、肉体が衰えたとか、そういう観測できる変化を解釈するときに時間の流れという考え方(ものさし)を用いると、腑に落ちる説明ができるだけなんだと思います。
だからもし、モノが瞬間的に動く世界、例えばA点からB点まで瞬間的(連続的ではなく離散的に)にモノが移動することが当たり前の世界があるとすれば、その世界ではまた違った時間の概念が生まれたんじゃね?とも思います。(もちろん、モノが無から突然生まれたり、あるいは消えたりすることが日常的に起こるような世界でも)
ここまで書いていて、見当違いのことを書いてるんだろうな、という不安が何度も頭をよぎりました。
が、幸いまだこの宇宙に時間の正体を完璧に説明できる人はいないらしいので、もう少し続けてみます。
時間は宇宙の始まりと同時に生まれた!という主張があります。幼いころに図鑑で読んでから、この主張に対し何の疑問も持たず生きてきましたが、今回の番組を見てちょっとだけ考えが変わりました。
”もしかすると宇宙に初めから存在したのは時間ではなく運動だったんじゃね?”という考えです。
ビッグバンが起きて、光とか原子とか、熱とかがものすごい勢いで広がって、それからなんやかんやあって今の宇宙があります。
それまでにいろんな運動があったのは多分間違いないだろうけど、人間はおろか、あらゆる生き物は誕生していなかったはずです。
あったのは運動だけ。ビッグバンが起きた時、原子とかもっと細かい粒とかがそれぞれ初期位置と初速度を与えられて、後はその原子たちがそれに従って進み続けた結果、今の宇宙が生まれたわけです。
こうした運動って、別に時間の概念が無くても成り立つと思うんです。もし時間がなければ運動が起こりえないんだとしたら、最初の爆発であるビッグバンはどうやって起こったのか説明できないような気がするんですよね。
だから、”時間がなければ運動は生じない”のではなくて、時間のあるなしにかかわらず、運動は起こりうる。そして、それを生物が解釈するためには時間という概念が必要だったというのが、私なりに考えてみた結論になります。
そういう意味では、時間を語る上で重要になってくるのは、むしろ哲学とか、心理学の視点なのかもしれないということに気づかされました(今まさに、この文を書いている最中に)。
番組を見ている間は、心理学や哲学の視点では、物理学の視点に比べて随分とあいまいな議論をしていているなぁ、と素人からは感じてしまったのですが、完全に誤りでした。
時間というテーマに向き合うためには、運動を説明するための"道具としての時間"と、我々が普段生きている中で感じる"感覚の時間"という2つの側面をしっかり押さえたうえで、考えてみることが大事なんだということに気づきました。
そして、普段生きていくうえでは、むしろ心理学や哲学の側面から見た時間の考え方について学ぶことのほうが、身の回りの時間にまつわるナゾ(なぜ楽しい時ほど時間が早く過ぎるのか、など)について、すっきりした答えを示してくれたりして、有益なのかもしれないなと思いました。
結局は栄養バランスと同じで、いろんなものの見方をバランスよく持つことが大切なんだなあと改めて実感できた、いい経験でした。
まあ結局、時間って何なのかは最後まで謎だったんですけどね。いつか自分なりの良い解釈が生み出せれたらいいなーと思いました。